「教えているのは、解き方だけでなく、学び方」。学研教室のCMで使われている言葉だ。この言葉は、当たり前のことを言っているだけだ。けれども、何か深い意味に聞こえてしまう。
僕は『お金』について、親から以下の教育を受けてきた。
「一生懸命働いて、倹約してお金を貯めなさい」と。
お金を得るために、なぜ働かなければならないのか?なぜ倹約して、お金を貯めなければならないのか?こうした行為は、この世の中で『お金』を扱う上で正しいと言えるのだろうか?
アメリカの投資家で実業家でもあるロバート・キヨサキが書いた「金持ち父さん貧乏父さん」の本のなかで、お金を貯めるのはなく「本当の資産を蓄えろ」と述べている。
「金持ち父さん貧乏父さん」に興味がある方は、以下を参照して欲しい。
僕は『お金』について、何を知っているのだろう。お金について、知ること学ぶことをしていれば、もう少し明るい人生を過ごせたのはと考えてしまう。
学研教室のCMように、お金についても「稼ぎ方や使い方だけでなく、学び方」。当たり前だけど、このことが今の世の中では重要なんじゃない。と、今更だけど思ってしまう。
株式投資への嫌悪感
僕の親は、株式投資に対してひどい嫌悪感を抱いている。多分、その理由は戦後最大と言われる日本株バブルとその崩壊から来ているのだろう。
日本株バブルとは、いったいどういったものだったのだろう?
そんなことを考えていると、「投資のバイブル」として有名な『ウォール街のランダム・ウォーカー』という本の中に、「日本の株価・地価バブル」についての記載があった。ので、今日はその内容を紹介したい。
また、前回の記事で「ウォール街のランダム・ウォーカー」より「株式投資で損をしないためにチューリップ・バブルを知ろう」という内容を紹介している。興味があれば、以下を参照して欲しい。
日本の株価・地価バブル
日本の株価・地価バブルは、どれくらいすごいものだったのだろう?「ウォール街のランダム・ウォーカー」では、以下のように紹介されている。
1995年から90年にかけて、日本の地価は約75倍に高騰した。そして、90年には日本の地価総額は約20兆円と推定された。これは全世界の富の約20%、世界中の株式時価総額の2倍に相当するものだった。アメリカは国土面積では日本の25倍も大きい。しかし、90年当時は、日本の経済繁栄を織り込んで日本の地価総額は、何とアメリカ全体の5倍にも評価されていたのだ。計算の上では日本は単に首都圏を処分するだけで、アメリカ全土を購入することができたことになる。また、皇居とその周りの土地の評価額だけで、カルフォルニア州全体を買うこともできたのだ。
このような地価の高騰を反映して、日本の株価も、風のない晴れた日にヘリウム風船を放ったように上昇し続けた。1955年から90年にかけて、日本の株価は100倍にもなったのである。89年のピークには日本の株式時価総額はアメリカの1.5倍の4兆ドルに達し、世界全体の株式時価総額の45%を占めたものだ。
「ウォール街のランダム・ウォーカー」より引用
バブル期の日本株式の平均PER(株価収益率)は60倍で、株価純資産率は5倍、それに配当利回りは0.5%であった。その当時のアメリカの平均PERは15倍、イギリスでは12倍であり、日本の株価水準の異常さは際立っていた。
また、個々の会社を見てみると、バブル最中に公開されたNTTの時価総額はAT&T、IBM、エクソン、GE、GMを全部足し合わせたものよりもさらに大きかったという。
この異常な株高に対して、疑問を持っているものもいた。だが、その疑問は、以下のような回答で正当化されていった。
「株価収益率は成層圏に届いているじゃないか」と問えば、「そんなことはない」とたちどころに兜町のセールスマンの答えが返ってくる。「日本の企業の減価償却費はアメリカに比べて過大表示されている。それに、株式を一部保有している多数の子会社の利益が連結されていないから、日本のPERは実際より過大に表示されているにすぎない」というのだ。「こうした違いを調整すれば、日本のPERは実はそんなに高くない」、と。「それにしても、0.5%の配当利回りというのは、あまりにもひどすぎるのでは」と言うと、「歴史的な低金利を反映したものにすぎないさ」という具合だ。
「ウォール街のランダム・ウォーカー」より引用
実際には、高水準の株価を正当化するこれらの説明は、一つとして検証に耐えられるものではなかった。
利益や配当をどう修正しても、依然としてPER水準は国際的にきわめて割高で、日本の過去の平均に照らしてみても、著しく水膨れしたものであったと「ウォール街のランダム・ウォーカー」では述べている。
バブルの崩壊
日本の株価・地価バブル崩壊の引き金を引いたのは、日本政府であった。日本の株価・地価バブルによって、経済のあちこちに醜いインフレの影が迫っていることに日本銀行が気付いたのである。
そこで、日本銀行は銀行の与信活動を制限し、金利上昇を誘導した。それによって、地価の高騰に歯止めがかかり、株式市場にも望ましい調整がもたらせることを期待した。
だが結果として、株式市場で起こったことは、望ましい調整ではなく暴落だった。
日経平均株価は89年の大引きに約4万円に届くところまで上昇したのをピークに、92年8月半ばには実にそれを63%も下回る1万4309円まで落ち込んだ。この暴落度合いは、1929年から32年にかけての、アメリカの大暴落に匹敵する規模であった。
このバブル崩壊は、日本の金融システムならびに日本経済に対して、甚大な影響を及ぼすことになった。そして、日本の株価平均はバブル崩壊後の30年にわたって低迷し、現時点でもそのバブル時の値段を更新していない。
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