幸せに働くために、どのような会社でどのような価値観を持って働くべきかのか

オフィスで働く人達 仕事

僕が社会に出て学んだ事は、「変化しなければならない」という事だ。僕が社会人として多くの時間を過ごした会社では、立ち止まる事は価値を無くしていく事であり常に新しい事にチャレンジしていく事を求められた。

その証拠に僕が働いていた会社では、「変わるか死ぬか」と過激な文言が書かれたポスターが此れ見よがしに張られていたし、サラリーマンに向けた自己啓発本にも「変化を恐れるな」といった文言が多く使われている。

それくらい会社は世のサラリーマンに変化を求めている。でも、変わらないものほど価値があるという事は無いのだろうか。妻や恋人への止むことのない愛情、子供への無償の奉仕、友への熱い友情は変わらないからこそ価値があるのだろう。

今の時代は、愛情や奉仕の精神・友情が減価償却のように時間とともに価値が下がっていく時代になり下がったのだろうか。

僕は古い人間だと思う。愛情や奉仕の精神・友情も古くなったらアンインストールして、それに代わるより価値のある便利なものをインストールする時代にはついていけなくなってきている。

だから、僕にとって今の社会は混沌としていて、ちょっと危うく楽しいものなのだ。

僕が働いていた会社と豆腐屋さん

僕が働いていた会社は、変化を求め続ける会社だ。変化を求めるため、会社の利益は新たな事業・設備に大いに投資した。

そして、4年に一度くらいの割合で新事業は失敗し社員の給与に多大の影響を与えた。中には、新たな事業が成功し利益を押し上げる事もあったがその利益も別の事業や設備に投資して、4年に一度の不運を味わうかのように損失を出していた。

僕が十数年、変化を求める会社で働き続けて感じた事がある。それは変化を求める会社より、町の小さな豆腐屋さんの方が強いんじゃないかということ。

売上も従業員数も僕が働いていた会社より、断然規模の小さい豆腐屋さんの方が幸せなんじゃないかということ。

古いけど強くて幸せな会社

僕の家の近くに古くて小さな豆腐屋さんがある。その豆腐屋さんは、減価償却が済んだであろう会計的に何の価値もない古い機械で何十年も前から毎日同じ豆腐を作っている。

今後、何年・何十年も同じ味を豆腐を作り続けることがこの豆腐屋さんの使命感だとするならば、この豆腐屋さんは、豆腐を作って売り上げた利益を別の事業に投資することはないだろう。

そしてこのような会社で働くということは、働く人にとってどういう想いがあるのだろう。稼いだ利益を何に投資するのかという小難しい経営判断をする必要もなく、何十年と引き継がれた洗練さらた作業で毎日同じ豆腐を作り売り続ける。

ときに退屈に打ちひしがれるかもしれない。また、世の中の変化に取り残される恐怖があるかも知れない。でも、その退屈と恐怖に打ち勝ってきたからこそ、僕は近所にある町の小さな豆腐屋さんが強く幸せな会社だと思ってしまう。

すくなくとも、僕が働いていた変化を求め続ける会社なんかより。

働くということ

何千年ものあいだ、深海を泳ぐシーラカンスは絶滅を待つ生き物なのだろうか。変化することで進化を遂げて来た世界で、何千年も姿・形を変えることなく生きてきたシーラカンスは、この混沌とした社会で暮らす僕にとって強い憧れを感じてしまう。

世の中には、様々な価値観があり、その価値観を持ってたくさんの人が働いている。働くという事に対して、どのような価値観を持ってどのような会社で働くことが幸せなのだろうか?

多分、この回答は星の数ほどあるだろうし、どれも正解だろう。僕は、この回答を混沌とした社会で働くサラリーマン達に聞いてみたい。経験に基づいた地に足の着いた回答は、多少の論理が矛盾してようが僕の心を打つものだろう。

学者が机上で考えた理路整然とした回答より、ちょっと危うく楽しい回答がたくさん聞けると思うしね。

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