あるアメリカの著名な株式投資家が「私はこれまで人に賭けてきた」と言っていた。
僕が株式投資をするさいに人(ここで言う経営陣)を評価し、その人・経営陣を信じて投資をすることなど無い。だからこそ、何てカッコいいことを言うのだろうと思った。
考えてみれば「人に賭ける」というのは当たり前のことかも知れない。経営陣が無能であれば、会社の業績も悪いというのが常識的な考えだろう。
だが、CFA(公認証券アナリスト)のパット・ドーシーが書いた「千年投資の公理」には以下の言葉が述べられている。
長期的な競争力は、(中略)構造的な事業の特性に基づくもので、経営陣の能力による影響は限られている。
「千年投資の公理」より引用
パット・ドーシーによると(一部の例外はあるかも知れないが)企業が長期的に高い利益を上げるには経営陣の能力より、どれだけ企業が「経済的な堀」を築いているかが鍵だという。
とびきり優秀な経営陣を集めて紳士服業界に殴り込みをかけても、「コカ・コーラ」「アップル」「グーグル」「マクドナルド」のように長期的に高い利益をあげる企業を作ることは難しいだろう。
これは経営陣の能力の問題というより、紳士服という業界の特性がそうさせているのかも知れない。
だからこそパット・ドーシーは、こうも言っている。
騎手でなく、馬に賭けろ。経営陣も大事だが、堀を持つことの重要性にははるかに及ばない。
「千年投資の公理」より引用
パット・ドーシーの言葉を信じるのなら、人を評価せずに株式投資をしてきた僕の投資方法も全くの間違いではなかったということになる。
でも株式投資という(僕の中では)カッコよくないことをしている僕は、愛する妻や親しい人にこう言ってみたい。「会社でなく、人に賭けてきた」
こんなことが言えれば、株式投資も少しはカッコよく思えるものになるのだろう。
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